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2008年 09月 29日

南僧尾観音堂

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この建物は、先日、厳島神社の獅子舞を紹介した同じ集落の南僧尾にある観音堂です。(県指定文化財)
観音堂は、石峯寺でも紹介したあの法道仙人が840年に開基した新善寺の本堂です。
でも、おかしいよね。651年に石峯寺を開基しているのに、その200年後に新善寺を開基するなんて、200年も生きていたってことか?
この謎を解くために、兵庫県加東郡社町にある清水寺に行ってきました。清水寺は、623年に法道仙人が開基したお寺さんです。
この住職に疑問を尋ねたところ、「法道仙人の意志受け継いだ弟子達が、法道仙人の名で開基することがある。弘法大師空海のその弟子達が、空海の名で布教をしていたことがあるのと同じです。その時代にはよくあることです。」とのこと、その魂があれば、良いと言うことみたいです。
ところで法道仙人って、どんな人物なのだろうか?

1322年に書かれた「元亨釈書(げんこうしゃくしょ)」には、法道仙人は多門天王と西峰にあらわれた牛頭天神の守護を受けて、印南郡の法華山一乗寺を中心に活躍した仙人である。と記されています。
また、播磨の地誌「峰相記(みねあいき)」に法華山一乗寺の縁起として、次のように記されています。

法華山一乗寺は、法道仙人が建立した寺で孝徳天皇の勅命により創建されたものである。開基の法道仙人は天竺つまりインドの霊鷲山で金剛摩尼法を習得し、天地四方いずれの所へでも雲に乗り込んで行けるようになった。
飛ぶとき雲の上には千手大悲の銅像や仏舎利を始め鉄製の宝鉢を飛ばせて供物を受けた。大化元年(645年)の頃、法道仙人は、ある日、天竺霊鷲山の仙人苑を出て紫雲に乗り、唐、朝鮮を経て日本に飛来した。ふと雲間より下界を覗くと、五色の光が燦然と輝き、山の峰が八つまるでハスの花が咲いているような景観であった。そこで、その山に降り立ったのである。
これが印南郡の法華山と名づけた所であり、ことごとく気に入って一寺を建立し、あらゆる衆生をみんな極楽に導くぞと誓いこれを法華山一乗寺と呼んだ。
ここで法道仙人は天竺から持ってきた鉄鉢を飛ばせて播磨灘の海上を運行する船からお布施をささげさせていた。
ある日筑前・大宰府の船頭・藤井麻呂の船が租税として都に納める米を積んで播磨灘を運行中、法道仙人が鉄鉢を飛ばせてその米を乞うた。藤井麻呂が『これは公の御用の米であるから私に施すことは出来ない』と断ると、鉢は空中を引き返したが船上の米俵もことごとく鉢の後にずらずらと雁のようについて空中を飛び法華山にやってきた。
飛び去る米俵に船頭たちは驚きあわてたが、困り果てた藤井麻呂は米俵の行き着いた先、法道仙人の庵を訪ね丁寧にあやまって米を返して欲しいたのんだ。法道仙人は一鉢分だけお布施として取り笑いながら頷くと米俵はもとどおり船に飛び帰った。ただ一表だけが途中で地上に落ちたところを米堕(よねだ)村と呼ぶようになった。
船頭・藤井麻呂が都に上がってこのことを奏上すると天皇はいたくお感じになられ、一乗寺は勅願時になった。

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ちょっと長かったですね。あくびが出ましたか?
淡河町には、3つの法道仙人開基の寺がありました。
石峯寺と新善寺と仙養寺です。左の写真は淡河町行原にある仙養寺の跡です。
仙養寺の開基は826年です。1578年頃の天正の役で消失し、その後再建された文献は見当たりません。
隣の三木市には、法道仙人開基のお寺さんが14ヶ寺あります。ですから、美嚢郡には17のお寺さんがあります。
何故、私がこの法道仙人にこだわっているのか?

実はこの法道仙人は、陰陽師の元祖なのです。ですから、美嚢郡に不思議な世界があるを見つけたのです。淡河町のぶらり旅を紹介しながら、この不思議も紹介していきます。
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by kilo-kinosita | 2008-09-29 14:59 | 淡河町ぶらり情報


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