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2008年 10月 28日

岡山県玉野市で雑穀フェスタ開催

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私がお世話になっている、岡山県の玉野市で雑穀フェスタが11月30日に開催されます。
淡河町の雑穀でお世話になった方々を、誘って行こうかなと思っています。
私の雑穀畑のアワ・キビ・モロコシの種は、玉野市さんから頂いたものですから。

関西・中国にお住まいの方、時間があったらみんなを誘って行ってくださいね。

雑穀フェスタには、
日本雑穀協会の理事をしていらっしゃる信州大学の井上直人先生が、10:10から雑穀革命という講演を行います。
またその後11:20からパネルディスカッションで、事務局長の中西氏が参加いたします。楽しみだなぁ。
他にも色々イベントがありそうなので、ね。

チラシにある会場の「すこやかセンター」は「総合保健福祉センター」の略です。
住所は岡山県玉野市奥玉1丁目18-5です。
カーナビがあったらそれで行ってください。
電車だったらどうやって行くのかなぁ?いつも車で行くので・・・。
岡山ICから1時間ぐらいで着くと思います。
神戸からだと3時間かかるので、朝7時に出ないと井上先生のお話が聞けないね。
頑張って、早起きします。

帰りには、道の駅「みどりの館みやま」に寄って行こうと思います。
地元で採れた野菜や、宇野港がそばなので、海の幸が豊富に販売されているのですよね。
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by kilo-kinosita | 2008-10-28 21:18 | 雑穀
2008年 10月 22日

淡河の隠れた人気物

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淡河町の名産品は、酒米の山田錦や新鉄砲ユリと、創業120年の満月堂の豊助饅頭が有名です。でも、他にもあるのですよ。
道の駅に行くと、新鮮野菜、婦人部が作った味噌・播州素麺などなど。
その中でも、私のお気に入りは、小粒黒豆納豆と、授産施設で作られているおせんべいです。
小粒黒豆納豆は、淡河の一番西にある勝雄集落で作られています。ここでは、道の駅の食事処淡竹の手打ちソバ用のソバも栽培されています。
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この納豆に使われている黒豆は、昔からあった在来種の黒豆を復活させ、納豆にしたものです。納豆特有の臭いも少ないし、とても食べやすいのです。
難点はちょっと粘り気が足りないかなと思われますが、てんぷらなどの料理には、もってこいかも。納豆サラダなんかも出来そう。
なんたって、地元の豆ですから、絶対安心・安全が一番かな。
値段は、2個入りで185円です。


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このおせんべいが、淡河町の木津地区にある知的障害者授産施設・光の村で作られたしょうが味のおせんべいです。いろいろな種類があるのですが、私はこれが好きでね。時々買ってきます。素朴であまり甘すぎないので、食べやすいのです。夜に小腹が減ると、バリバリ・モグモグです。一枚食べると、もう止まらなくなってしまいます。
今も、食べながらブログを打っています。
そうだ、お菓子で思い出した。紹介しなくてはならないものが。

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先日、めぐりんさんと滋賀の乙女さんが、雑穀畑に見学に来た時もらったお土産です。
左がめぐりんさんからいただいた、清浄歓喜団というお菓子です。奈良時代に遣唐使によって仏教伝来とともに伝わった唐菓子の一種とのこと。
これも甘みが控えめで桂皮の香りがして美味しかったです。
右が、滋賀の乙女さんからいただいた、手づくり大黒あられです。
乙女さんのおじいちゃんが作っているそうです。
私は東京生まれ・育ちなので、このようなあられや煎餅が大好きなのです。
有難うございました。どちらも美味しくいただきました。
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by kilo-kinosita | 2008-10-22 17:31 | 淡河町ぶらり情報
2008年 10月 19日

アマランサスの刈取りⅡ

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アマランサスの脱穀の後、もう一つのアマランサスの刈取りをしました。
1mmぐらいの種から、こんなに大きくなるのですね。それも3ヶ月ぐらいで、自然の驚異です。
一粒から何粒の種が採れるのでしょうか?あまりにも多すぎるし粒も小さいので、数える気はしませんが。
野のものさん、お陰さまで、こんなに大きく育ちました。ありがとうございます。

実は、このアマランサスを刈取している時、毛虫がいっぱいついていたのです。それもたくさんの種類の毛虫が。
大きいのは5cm位から小さいものは5mm位まで、また色は真っ黒・緑・緑に黒い筋の入っている奴などなど。5~6種類位いたと思います。一つの穂に5匹ぐらいいたのもありました。
穂を掻き分けて、一つ一つ手で取り除いていったのです。
これも結構手間がかかる作業でした。

もちろん、この作業も淡路の友達が手伝ってくれました。
その友達が急に「痛い」って叫んだのです。
毛虫を取り除いている時に、毛虫が背中に入り込んで、刺したのです。
毛虫の逆襲にあってしまった友達でした。
暫らく痛かったようですが、ひどくはなりませんでした。よかったです。

刈取りが終わる頃は、陽も西の山の中に落ちて行く時間になってしまいました。
写真を撮ったのも、その頃で、赤く染まってしまいました。

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これは、モロコシです。実も赤く熟してきたので、そろそろ刈り取りなのですが、
農文協の本「雑穀」のモロコシの欄では、穂の半分以上で護頴が熟色(赤褐色)になったら刈取る。小面積では、熟した穂から、2~3回に分けて穂刈りと行い、10~20本づつを小束とし、2束を一組として結束しハセにかけて後熟させる。とあります。
まだ、色づいているのは5~6本なので、あと数日したら2~3回に分けて刈取ろうかなと思っています。
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by kilo-kinosita | 2008-10-19 12:20 | 雑穀
2008年 10月 19日

アマランサスの脱穀

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これは、10月8日の刈取り前のアマランサス・ニューアステカ種です。刈取りから10日間やっとアマランサスも乾燥しました。

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淡河の事務所前で、乾燥をしていました。どれくらい乾燥させたら良いのかわからない私は、早速「野のもの」さんにメールしました。「穂をさわってチクチクしたら乾燥ができたと判断してください」とのこと。
〔チクチク〕ってどんな感じ?わからないまま、時々さわっていました。それまでは穂を触っていてもフワフワしていたのが、籾の部分が乾燥してチクチクしてきました。これかと思いさぁ脱穀だ。
ここで、野のものさんの別のアドバイス。「チクチクしても軍手は使えないし、マスクをしていないと、喉が痛くなる。」。
マスクをするの?何故?
わからないままセブンイレブンでマスクを買って、いざ脱穀だ。でも私には脱穀機がない。こうなったら手でやるしかない。
昨日淡路から友達が遊びに来ていて、実はアマランサスの脱穀をするのだけれど、脱穀機がないから、手でやるしかないのだけど、と言ったら手伝ってくれるとのこと。やった、これで2倍の速さで脱穀ができる。

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野のものさんに言われたように、マスクをして、指先で揉むようにして、脱穀をしました。
よく乾燥されたものは、ボロボロと実が取れていきます。
マスクの理由もわかりました。脱穀をしているとそのカスが空中に飛び回り、息をすると口にはいってくるのです。
目も痛くなる時があります。

事務所前の田圃では、山田錦の脱穀をしていました。今淡河では、稲の刈取りや脱穀の繁忙期、もちろん脱穀機を使用しています。見に行ったのですが、その早い事。どんどん稲が脱穀されて袋詰めされていきます。脱穀機ってすごいねぁ、と思いながら、事務所に戻ってアマランサスの実をしごいていました。

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左が脱穀前で右が脱穀後です。
実は、このアマランサスの脱穀を急いでいたのです。
雑穀畑にあるもう一つのアマランサス(長野)が、刈取り時期なのです。
そう、野のものさんから頂いたアマランサスです。
この、脱穀をしないと、干すところがなく刈取りができなかったのです。
よかった、脱穀ができたて。今日手伝ってくれた、淡路の友達にも感謝です。



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これが脱穀された実です。
さてこれからが大変。
どうやって、選別するか・精白するかです。
とりあえず、網をと使ってゴミと実に分けて、精白はミキサーを使おうかな。
愛媛県の宇和島にある四国穀菜村に行ったとき、精白にミキサーを使っていると聞きました。
雑穀を精白できる精米機があれば簡単なのですが、無いものはしょうがない、試行錯誤でやるっきゃない。

野のものさん、またいい方法を教えてくださいね。お願いいたします。
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by kilo-kinosita | 2008-10-19 11:05 | 雑穀
2008年 10月 16日

陰陽道の紀元とは?

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このお米は古代米の緑米の田圃です。今のお米の原点である「古代米」。赤米はお赤飯のルーツとも言われます。

さて、お米はいつから日本に渡ってきたのでしょうか?
こんな事みんな知っているよね。狩猟・漁労・採取の生活であった縄文時代から、水田稲作が伝来した弥生時代だと。その弥生時代が始まったのは紀元前5世紀と言われていましたよね。(覚えていないかな?)でも最近の説ではそれより500年前の紀元前10世紀ごろと言われています。今から3000年も前になるのですよね。

そんな頃にどうやって日本に渡ってきたのか?船しかないですよね。どんな船で?わかりませ~ん。今のような船でないことはわかりますけど、丸木船かなぁ。まぁそれは置いといて、専門家に聞いてください。
その頃から、中国・朝鮮から文化が入ってきたことは確かです。

さて、陰陽道ですが、陰陽五行説と言います。
中国の陰陽五行説は、もともと別個の存在であって、それぞれ古い歴史を持つ陰陽説と五行説。それに十干・十二支の干支や『周易』の柔剛・八卦の思想なども加わって漢時代にその形を整え、魏晋南北朝において、それらが複雑に結合し漢民族の固有の信仰など種々の要素も加わって成立した思想だそうです。(あ~長)
それが、今の陰陽道であって、占いになるのです。
ですから、もともとの陰陽説と五行説は性格が違うのです。

陰陽説は、農耕生活していた漢民族が、生活を左右する自然の推移、すなわち昼夜の循環、春夏秋冬の四季の気候の推移、晴雨の変化など体験的に観察することにおいて「陰」と「陽」との二つの相反することを、人間と世界とを解釈しようとした二元論であると言われます。
五行説の概念は非常に古く殷・周には存在したと言われています。この五行の始めのものは、古代の人々が日常生活の中で欠くことのできない水・火・木・金・土の五つの物質、個別な五つの材料を発見したことに紀元があるそうです。水と火は人々の飲食に必要であって、木と金は農耕生活に必要なものであり、土は万物を生成するもので、そこから生産されるものが穀である。(陰陽道叢書・名著出版より)

やっと「穀」が出ました。お米も、雑穀も穀ですよね。生活上必要な昼夜・四季、水・火・木・金・土が陰陽道の原点になっているのです。
そうです。陰陽道は平安時代の安倍晴明で有名ですが、もっと、ず~っと昔からあったものなのです。

中国・朝鮮から、日本に船(おそらく)を使って、稲作の文化・鉄器などの文化・思想が伝わってきたのです。
陰陽道の思想は、こんな古くから日本に入ってきていたのでした。

今日も、難しい歴史の話の話になってしまいました。
これって、誰のせい、私のせいです。
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by kilo-kinosita | 2008-10-16 22:24 | 淡河町ぶらり情報
2008年 10月 15日

我、雑穀畑にお客様がいらっしゃいました。

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今日、雑穀畑に来てくれたのは、めぐりんさんと、滋賀の乙女さんです。
日本雑穀協会が、9月におこなった九州雑穀視察旅行で、このお二人に知り合いました。

めぐりんさんは、雑穀アドバイザーの一期の認定者で、たまたま、私がベターホームの「初めての雑穀教室」に参加した時の講師です。

お二人とも、前から雑穀畑に来たいと言っていたのですが、なかなか、時間が合わず、今日になってしまいました。九州で知り合って、今日が2度目に会ったのですが、前からの知り合いのように楽しく会話が弾み、楽しい一日でした。

写真手前がキノア、後ろが「野のもの」さんから種を頂いたアマランサスです。大きくなったでしょ。
その左後方にある水色の軽バンが、我愛車のカメ号です。

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ここは、法道仙人が開基した石峯寺の三重塔です。
淡河町内を色々案内しようと思っていたのですが、あまり時間も無く、この後、緑米と赤米の栽培地を見て、神戸三宮に送らせていただきました。
また、来ていただいたら、淡河町を案内いたします。

アマランサスもモロコシも、今週ぐらいが刈取りの時期になってしまいます。
後は、キノアが残るだけになってしまいます。
キノアの刈取りには、また来たいと言っていましたので、よろしくお願いしますね。

きっと、めぐりんさんもブログでアップしてくれると思いますので、そちらもよろしくです。
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by kilo-kinosita | 2008-10-15 21:33 | 雑穀
2008年 10月 13日

香川県高松市の塩江町に行ってきました。

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昨日、思い立ったかのように、塩江町まで行ってしまいました。
今、日曜日は、神戸・淡路・鳴門自動車道や高松自動車道は、昼間9時から17時まで、高速料金が半額なのです。それで、即行ってみようかなってね。

塩江町は、高松自動車道・高松中央ICより国道193号線を走って40分のところにあります。
とても山奥まで来たなぁと思えるほど、自然豊かなところです。
町の中心地には、道の駅しおのえがあります。駐車場は車でいっぱい。連休のせいでしょうか?
でも、おこないが良いせいか、駐車場に入れたとたん、目の前の車が出るところで、すんなりとめる事が出来ました。
道の駅には、地元の野菜や、ふじかわ牧場のアイスクリームなど特産品を販売していました。

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駐車場から、川を挟んで向かい側に、行基の湯という温泉がありました。入浴料金は420円。安~~。少し町を散策してから入ろうかなと思っていたのですが、結局、時間が無くて入れませんでした。すぐ横に、足湯もあります。
着いたのがお昼だったので、昼食をと思い歩いていると、手打ちの二八そばのお店・行基庵がありました。ここも混んでいて、暫らくしてから、入ろうかなと思い、郷土史に興味のある私は行基の湯の由来を探すことにしました。
行基がいたのなら、お寺があるはず。道の駅に行って、町の案内図をもらう。しかし、お寺は一軒も無い。道の反対側の案内所に行って話を聞いて見た。

厳しい農作業に明け暮れる農民、旅の苦難や困窮にあえぐ人、難病に苦しむ人を救わんと大僧正・行基がその知恵と知識を結集して掘り当て出湯。その後、弘法大師が修業し、万人に湯浴をすすめたという。1300年間、多くの人々の心と体を癒し続け、塩江温泉郷を潤しています。
とのこと、お寺は無いけど、薬師堂があり、行基の像も置いてあるとのこと、11月3日法相宗薬師寺本山による護摩供養があるそうです。

c0178356_2395843.jpgc0178356_231149100.jpg左が薬師堂で、中をちょっとだけ覗かせてもらったら、護摩供養の準備をしていました。
右が行基の湯の源泉です。また、道の駅まで戻りそば屋に行ったのですが、まだ人でいっぱい。どこかに行ってからもどってこようかなと。

ネットに、NPOがやっているホテルがあり、自然体験できるとあったので、興味本位でちょっと寄って来ました。
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ここが、NPOが経営している、ホテルセカンドステージです。ホテル手前の右にあるのが農場で、ここで農作業をしたり野菜を取って自炊も出来るそうです。左側には、ヤギが飼われていました。このホテルに紛れ込んできたヤギをかっているそうです。ホテルの前は湖があって、ブラックバスやフナが釣れるようです。バスか!楽しそうだな。1泊2食付で7000円からということ、素泊まり(自炊)もできるそうです。長く泊まれば安くなり、1ヶ月位泊まっていく人もいるそうです。
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右がふじかわ牧場の牛さんです。ここで、絞りたての牛乳や、アイスクリーム・プリン・チーズケーキなどが販売されています。でも、どこの牧場も同じですよね。
ここで、お腹がすいていたので、アイスクリームを食べ、湖を一周してから、道の駅に戻り、やっと、ソバにありつくことができました。
でも、正直言って、私が雑穀を育てている「道の駅おうご」の十割ソバの方が美味しいです。(行基庵の方ごめんなさい)
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by kilo-kinosita | 2008-10-13 23:48 | アウトドア他
2008年 10月 11日

丹生都比売命について

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この神社は、紀伊国一宮の丹生都比売神社です。
余談ではありますが、ライフワークで、7年前から全国の一の宮の撮影の旅をしています。
一の宮は68カ国97社ありますが、残すところあと4社になりました。今日の写真はその時、撮ったものです。
丹生都比売神社の由来に、「播磨風土記」のことが記載されいています。10月3日のブログで丹生神社の話をしましたよね。今日は播磨風土記から丹生都比売命のことをお話します。

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〔播磨国風土記 逸文〕
爾保都比売命(にほつひめのみこと)
播磨の国風土記にいはく、息長帯日女命(おきながたらしひめ・神功皇后)。新羅の国平らげむと欲して下りましし時、衆神に禱ぎたまひき。その時国堅めましし大神のみ子、爾保都比売命、国造石坂比女命(いわさかひめのみこと)に著きて、教えたまひしく、「好く、我がみ前を治め奉らば、我ここに善き験(しるし)を出して、ひひら木の八尋桙根底附かぬ国、越売(をとめ)の眉引きの国、玉匣(たまくしげ)かがやく国、苫枕(こもまくら)宝ある国、白衾(たくふすま)新羅の国を丹波もちて平伏け賜ひなむ」と、かく教へ賜ひて、ここに赤土を出し賜ひき。
其の土を天の逆鉾に塗りて、神舟の艫舳(ともえ)に建て、御船の裳(すそ)と御軍の着衣とを染め、又、海水を撹き濁して、渡り賜ふ時、底潜く魚、また高飛ぶ鳥等も往き来ふことなく、み前に遮ふることなく、かくして、新羅を平伏けをへて、還り上りましてのち、其の神を紀伊の国、管川の藤代の峯に鎮め奉りたまいき。」

さて、ここで、播磨風土記では、丹生都比売命ではなく、爾保都比売命になっていることである。
神戸市北区の歴史には、「神功皇后が新羅を討とうとして瀬戸内海を西に向かう途中、丹生都比売命から、霊力のある赤土をもらった。丹生都比売命は、丹生氏が氏神として祭った女神のようだが、丹は赤・朱と同義。丹生とは、酸化鉄を大量に含んだ丹土を生産することを示す。
丹生氏は北九州を発祥とする水銀鉱業の一族で水銀の原鉱(辰砂・しんしゃ)採取地を探りあてながら東へ勢力を伸ばしたという。丹生山田へやってきたのも水銀を求めてであろう。丹生山の丹生神社は、丹生氏の氏神であったことは間違いない。神功皇后伝説によると、丹生都比売命から悪霊を追い払う赤土をもらい、すべてを赤く塗り、新羅へ出かけ無事に帰ってきた。それを謝して丹生都比売命を紀伊国管川の藤代の峰に鎮め祀ったという。これは、丹生氏が辰砂のより大きな生産地への氏族の移動を物語るものだろう。」

神戸市北区の歴史には、爾保都比売命を丹生都比売命として書かれている。そして、丹生氏が祀った女神であることがわかった。
爾保都比売命は丹生都比売命なのであろうか?
色々調べていると、神奈備のホームページに『丹生都比売伝承』の中に爾保都比売命のことが書かれていた。
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〔丹生都比売伝承〕
「周の後に春秋時代(BC770~BC402)と呼ばれる時代となった。江南には越と呉の強国が建ち、相争うこと幾たびにも及んだ。
揚子江の南、杭州は絹や水銀を産する。稚目女(わかるひめ)は、江南の呉王国の妹王女として生を受けた。姉王女は大日女(おおひるめ)という。
BC473年呉は越に滅ぼされ、BC334年越は楚に滅ぼされ、楚は始皇帝の秦に滅ぼされる。この様な国の乱れの中で、金属採取に長けた越人を交えた一族部民は呉王女姉妹を奉載し、新天地の倭国へ向かった。呉越は往古より倭国とは交流があり、倭国には金や水銀の鉱脈が露出しており、また住民は穏やかな人々である事が知られていた。
南九州に上陸、姉の大日女姫はこの地に伴侶を得てとどまり、後に天照大神と呼ばれる女神の原型となった。稚日女姫はミズガネの女神と讃えられ、すなわち丹生都比売神の原型となった。稚日女姫を奉載した一族は熊本の八代や嵯峨で水銀鉱脈を見つけ採掘した。
海を渡り四国へ行く。女神の後裔に新たに爾保都比売が現れた。広島へ移動した部族は石見・出雲や播磨へと進出した。日本海側に出た水銀師達は、再び祖神丹生都比売を奉じて城崎・丹後と沿岸を北上して、福井へと鉱脈を求めていった。
丹生都比売は中央構造線を進み、四国から淡路を経由して紀の国に上陸する。丹生都比売と一族の後裔は、鉱脈が尽きつつある中で耕地開拓にも従事した。鉱脈が尽き一部は、播磨に移動し、爾保都比売を祀る人々と合流した。」

以上が丹生都比売に関することです。
丹土・水銀については、またお話します。

更に、弘法大師空海は京都の高尾から丹生都比売神社を参拝・参籠して神社の境内の日一隅に修法の庵を建立して修行をしました。勅許を得て神社の狩場であった高野山にこの庵を移し山王院として、真言宗密教修法の根本道場とした。それが、今の金剛峰寺です。
この空海も水銀と深い繋がりがあるのです。
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by kilo-kinosita | 2008-10-11 23:48 | 淡河町ぶらり情報
2008年 10月 08日

アワ・キビの刈取りをしてきました。

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今日アワとキビの刈取りをしてきました。
試験栽培という事でしたけど、ご覧の通り、アワはアワノメイガにやられて、半分ぐらいしか出来ませんでした。キビはなんとか無事でした。でも来年の種取り用には、出来ますかね?
マンションのベランダで育ててから、今日の収穫まで、色々栽培の勉強になりました。
自然の驚異も感じてきて、雑穀栽培の難しさや、農家さんの苦労も感じてきました。

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刈取りといっても、正直言って私はド素人ですから、どうやって良いのか?周りの田圃に干している稲を見ながら、やっていたのです。いつもお世話になっている地元の方が、心配になったのか、来てくれて、苗の結束の仕方や、干し方を一緒にやってくれました。いつも、有難うございます。
これで、一安心ですが、まだ、どうなるか?自然ってそんなに甘くないですものね。

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これは、アマランサスのニューアステカ種です。収穫は来週と思っていたのですが、ポロポロ、脱粒していました。慌てて刈取りをした次第です。
アマランサスの栽培については、長野の「野のもの」さんから、色々教えていただいています。
野のものさんは、長野県の伊那の道の駅でレストランもやっています。
ブロブにリンクしていますので、見てくださいね。
そして、長野に行ったときは、是非寄って下さいね。
後ろの茶色い穂のアマランサスが、野のものさんから頂いた種のアマランサスです。
こちらのアマランサスは、来週の収穫かなと思っています。

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キノアもこんなに育ってきました。
これからは、キノアの面倒を見なければなりませんね。

キノアの茎は、やっぱり美味しそう。
今日は時間がなくて、とって来れなかったけど、今度行った時、採って来て絶対食べてやる。
って俺って、やっぱり、害虫以上ですね。
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by kilo-kinosita | 2008-10-08 23:14 | 雑穀
2008年 10月 06日

淡河八幡神社 例大祭に行ってきました。

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昨日淡河八幡神社で例大祭がおこなわれました。
せっかくのお祭りなのに、残念ながら一日雨。その中でも、担ぎ手は元気良く屋台や神輿を担つぎ練り歩いていました。
屋台に乗って太鼓をたたく打ち子さんは、淡河小学校の生徒さん。神輿の担ぎ手と舞姫さんは淡河中学校の生徒さんです。
午前中は、拝殿で祭典が行なわれ、舞姫さんの浦安の舞の奉納があり、祭典後、境内で屋台の練りと神輿の練りが行なわれました。

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午後からは、御旅神事となります。参拝客に舞姫さんが、浦安の舞・豊栄の舞を披露して、その後、屋台・神輿・渡行列と行列作り御旅所である、天満神社へと向かいます。この御旅神事は平成9年に神戸市の無形文化財にしていされ、お祭りは江戸時代から続けられてきたものであるということです。
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淡河町には14の集落と隣の三木市志染町の戸田・三津田の集落が氏子になっています。
この16の集落を4つの当番区に分かれます。またその当番区に親村というのがあり、祭りのすべてを取り仕切ります。

4つの当番区は、宮元、七村、野瀬・神田・神影、戸田・三津田と分かれます。
この4つの当番区が毎年順繰りに当番をします。
宮元が勝雄・淡河・本町・萩原の4集落で、七村が南僧尾・北僧尾・木津・行原・東畑・中山・北畑の7集落です。それと、野瀬神田神影の3集落、戸田・三津田の2集落です。
今年の当番区は宮元、親村は勝雄でした。ですから、宮元の場合、4年に一度当番区が回ってきて、親村は更に4×4年で16年に一度回ってきます。私がこのお祭りの撮影を始めたのが16年前でしたから、ちょうど一周撮影したことになります。

この渡行のコース内に田圃があり、昔からこの田圃の中に建物を一切建ててはならぬといわれています。なぜ、建物を建ててはいけないのか?そのことを、前の宮司さん(今の宮司さんのお父さん)に聞いたら、神輿が通る御幸道だから、神聖な場所だからといっていました。
このコース内の田圃は直角二等辺三角形であり、何か秘密があると思い、淡河の神社仏閣を知れべるきっかけになったのでした。
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by kilo-kinosita | 2008-10-06 15:30 | 淡河町ぶらり情報