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カテゴリ:淡河町ぶらり情報( 16 )


2009年 02月 12日

淡河八幡神社の御弓神事に行ってきました

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昨日、神戸市北区淡河町にある淡河八幡神社の御弓神事に行ってきました。
初めにこの神事を撮影したのが平成4年ですから、もう16年になります。
淡路に来て今年は行けないかなぁ?と思っていたのですが、午後に大阪に行く用事があったため、午前中だけでもと御弓を見に行ってきました。

いつもはとても寒く、雪が降ることもあるのですが、今年は例年に無く暖かで良かったです。
この神事は兵庫県の無形民族文化財に指定されているものです。
初めに、宮司さんが的の中央に鬼と書いて、それを黒く塗りつぶします。それを射手が矢で打ち抜くをいう神事です。
これは、700年前に鎌倉の鶴岡八幡宮から御霊を分社され、この神社に収めるために悪霊を払った神事から続いているものです。
4人の射手が二組に分かれて、交代で2本の矢を射ます。その様子を写真で紹介しますね。

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こんな感じで、神事が行われ午前と午後に2組の作法が行われます。
この神事が終わったあと、中学生による36人大的射があり、兵庫県弓道連盟による試射、そして餅まきと続き、すべての神事は終了します。
今年は残念ながら、一組の神事しか見れなかったけど、やっぱり来れてよかったなぁと思って大阪に移動しました。
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by kilo-kinosita | 2009-02-12 22:17 | 淡河町ぶらり情報
2008年 12月 10日

石峯寺の秋

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今日は久しぶりに淡河のぶらり旅です。石峯寺の紅葉です。
京都ほど立派ではないけど、石峯寺は今年もモミジでいっぱいでした。
でももう散ってしまったかも。

モミジとカエデの違いってわかりますか。
カエデの語源は、葉が蛙の手に似ているところから付いた名前だそうで、見たとおりですよね。
モミジの語源は、紅葉とも書くところから、色が「揉み出づ」からきて、赤く彩る葉を言うそうです。
ですから、モミジもカエデも同じ種類で違いがないのだそうです。
でも、園芸・盆栽では、区別してつかっているとのこと。
でした。私には良くわかりません。

まあ、今日は写真でお楽しみ下さい。雑穀ネタが少なくなりましたので。

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by kilo-kinosita | 2008-12-10 18:41 | 淡河町ぶらり情報
2008年 11月 29日

道の駅でふるさとまつり

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今日は道の駅淡河でふるさとまつりがありました。
神戸や阪神の人達が新鮮な野菜などを求めて、いっぱいでしたよ。
午前中に、婦人会などの踊りや、とん汁の振る舞い、餅つきなどがあり賑わいました。

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私のブレンドした雑穀も販売されました。
今回は、いつもの10種類の雑穀ブレンドのほかに、淡河ブレンドとして、今年地元で採れたとれた黒米・赤米・緑米・もち米・黒豆に、岩手県産のアワ・キビ・モロコシ・ハト麦・アマランサス・ペルー産のキノアをブレンドしました。
黒米・赤米は、先日淡河八幡神社に納められた古代米です。

試食用におにぎりにしたら、結構評判が良かったので、安心しました。
良かった・良かった。

年に3回ほど、このふるさとまつりがありますので、近所の方は是非いらして下さい。
とても、田舎っぽいイベントで、楽しいですよ。

明日は、岡山県玉野市で行われる、雑穀フェスタに行ってきます。
10時から信州大学の井上先生の講演や、雑穀協会事務局の中西氏などのパネルディスカッションがあるので、楽しみにしています。
でも、神戸から3時間かかるので、7時には出ないとね。
明日早起きします。
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by kilo-kinosita | 2008-11-29 21:28 | 淡河町ぶらり情報
2008年 11月 16日

秋色を探して

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さわやかな青空の中、淡河町の秋色を探しにカメラを持ってぶらり散歩に行ってきました。
稲の刈り取りも終わり、柿の実も色づく頃になりました。
淡河町には真っ赤に染まる紅葉は少なく、淡い紅葉が見ごろですかね。
紅葉がきれいなところは、石峯寺ですかね。石峯寺の紅葉はまたご案内いたします。
田んぼの畦道を歩いていると、こんな稲藁を干している光景をよく見かけます。藁を干して色々と利用するそうです。

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左のように干した後、右のように積み重ねていきます。これをツボキと言うそうです。
初めてこのツボキを見たときになんだろうなぁ?と思っていました。
この中に何かあるのかなぁ?と。
何も入っていないのですよ。
でも、この景色を見ると、なにか里の秋を感じてしまいます。

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後は、柿の木やススキかな。ススキも今が一番です。
今の季節が、穂もあまり開いてなく、風になびいてとても綺麗です。
これといった、景色ではないけれど、東京生まれ、育ちの私にとって、心が落ち着く景色です。
京都の紅葉も綺麗ですが、こんなのんびりとした景色に浸かっているのもいいものです。
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by kilo-kinosita | 2008-11-16 12:43 | 淡河町ぶらり情報
2008年 11月 13日

淡河町でツリーハウス発見

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ネットで淡河町の情報を探したいたら、たまたま、このツリーハウスが見つかりました。
cottさんのツリーハウスです。
オーナーさんに連絡したところ、仕事で来週まで淡河には不在とのこと、帰ってきたらお会いしましょうと約束したのですが、・・・でも、今、すぐにでも見てみたい!
思い立ったら吉日の私は、見学を兼ねてちょっと行ってきました。
池の端にある手づくり間あふれる建物です。私もこんな家を建ててみたいなぁと思っていました。
なんか隠れ家的ではないですか。子供の時あこがれませんでしたか?
空き地でダンボール箱を繋ぎ合わせて秘密基地を作ったり・・・。
テント泊まりが好きで、山や海に行ったりしていましたからね。

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対岸から見るとこんな感じです。
小さくてわかりづらいですかねぇ。中央の木の中にある薄茶色のハウスです
いいですねぇ。湖畔のハウス。
そばには、バス釣りのアングラーがいました。
この池でバスが釣れるのかなぁ。釣れるのなら暇があったら、やってみたいと思います。
そのために、カメ号には釣竿がセットされているのですから。
今度cottさんに会ったら聞いてみます。

cottさん勝手にブログで紹介してしまって、ごめんなさい。
私、こういうもの好きなもので。よろしくお願いします。
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by kilo-kinosita | 2008-11-13 16:56 | 淡河町ぶらり情報
2008年 11月 03日

淡河町で文化祭がありました。

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昨日、今日と淡河町で文化祭がありました。
神戸国際物流の淡河事務所の前にある。神戸市北区役所北神出張所淡河連絡所(あ~長)が会場です。
会場の中には手作りの作品がところ狭しと展示されています。
手芸・写真・瓢箪・盆栽・花などと小中学生の作品も展示されました。
以前にも紹介した瓢箪作り名人がいる同好会の作品が右の写真です。
すごく立派でしょ。



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表では、タコ焼き・お汁粉・雑貨・野菜の販売、ソバ打ち教室&試食や抹茶のサービスがありました。そして、わたしの大好きなしょうがのお煎餅を作っている「光の村」もパンや木工細工と共にお煎餅も売っていました。もちろん私は2袋買いましたよ。

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私のブレンドした雑穀も販売され、試食に雑穀のおにぎりと、アマランサスの明太子風スパゲッティを出しました。
お陰さまで、雑穀ご飯やアマランサススパも好評でした。
淡河町在住の方々や、近郊の人たちに雑穀の美味しさを知って頂けて、とても嬉しかったです。
来年は、淡河で栽培された雑穀で、みんなに試食をしてもらいたいですね。
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by kilo-kinosita | 2008-11-03 21:19 | 淡河町ぶらり情報
2008年 10月 22日

淡河の隠れた人気物

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淡河町の名産品は、酒米の山田錦や新鉄砲ユリと、創業120年の満月堂の豊助饅頭が有名です。でも、他にもあるのですよ。
道の駅に行くと、新鮮野菜、婦人部が作った味噌・播州素麺などなど。
その中でも、私のお気に入りは、小粒黒豆納豆と、授産施設で作られているおせんべいです。
小粒黒豆納豆は、淡河の一番西にある勝雄集落で作られています。ここでは、道の駅の食事処淡竹の手打ちソバ用のソバも栽培されています。
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この納豆に使われている黒豆は、昔からあった在来種の黒豆を復活させ、納豆にしたものです。納豆特有の臭いも少ないし、とても食べやすいのです。
難点はちょっと粘り気が足りないかなと思われますが、てんぷらなどの料理には、もってこいかも。納豆サラダなんかも出来そう。
なんたって、地元の豆ですから、絶対安心・安全が一番かな。
値段は、2個入りで185円です。


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このおせんべいが、淡河町の木津地区にある知的障害者授産施設・光の村で作られたしょうが味のおせんべいです。いろいろな種類があるのですが、私はこれが好きでね。時々買ってきます。素朴であまり甘すぎないので、食べやすいのです。夜に小腹が減ると、バリバリ・モグモグです。一枚食べると、もう止まらなくなってしまいます。
今も、食べながらブログを打っています。
そうだ、お菓子で思い出した。紹介しなくてはならないものが。

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先日、めぐりんさんと滋賀の乙女さんが、雑穀畑に見学に来た時もらったお土産です。
左がめぐりんさんからいただいた、清浄歓喜団というお菓子です。奈良時代に遣唐使によって仏教伝来とともに伝わった唐菓子の一種とのこと。
これも甘みが控えめで桂皮の香りがして美味しかったです。
右が、滋賀の乙女さんからいただいた、手づくり大黒あられです。
乙女さんのおじいちゃんが作っているそうです。
私は東京生まれ・育ちなので、このようなあられや煎餅が大好きなのです。
有難うございました。どちらも美味しくいただきました。
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by kilo-kinosita | 2008-10-22 17:31 | 淡河町ぶらり情報
2008年 10月 16日

陰陽道の紀元とは?

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このお米は古代米の緑米の田圃です。今のお米の原点である「古代米」。赤米はお赤飯のルーツとも言われます。

さて、お米はいつから日本に渡ってきたのでしょうか?
こんな事みんな知っているよね。狩猟・漁労・採取の生活であった縄文時代から、水田稲作が伝来した弥生時代だと。その弥生時代が始まったのは紀元前5世紀と言われていましたよね。(覚えていないかな?)でも最近の説ではそれより500年前の紀元前10世紀ごろと言われています。今から3000年も前になるのですよね。

そんな頃にどうやって日本に渡ってきたのか?船しかないですよね。どんな船で?わかりませ~ん。今のような船でないことはわかりますけど、丸木船かなぁ。まぁそれは置いといて、専門家に聞いてください。
その頃から、中国・朝鮮から文化が入ってきたことは確かです。

さて、陰陽道ですが、陰陽五行説と言います。
中国の陰陽五行説は、もともと別個の存在であって、それぞれ古い歴史を持つ陰陽説と五行説。それに十干・十二支の干支や『周易』の柔剛・八卦の思想なども加わって漢時代にその形を整え、魏晋南北朝において、それらが複雑に結合し漢民族の固有の信仰など種々の要素も加わって成立した思想だそうです。(あ~長)
それが、今の陰陽道であって、占いになるのです。
ですから、もともとの陰陽説と五行説は性格が違うのです。

陰陽説は、農耕生活していた漢民族が、生活を左右する自然の推移、すなわち昼夜の循環、春夏秋冬の四季の気候の推移、晴雨の変化など体験的に観察することにおいて「陰」と「陽」との二つの相反することを、人間と世界とを解釈しようとした二元論であると言われます。
五行説の概念は非常に古く殷・周には存在したと言われています。この五行の始めのものは、古代の人々が日常生活の中で欠くことのできない水・火・木・金・土の五つの物質、個別な五つの材料を発見したことに紀元があるそうです。水と火は人々の飲食に必要であって、木と金は農耕生活に必要なものであり、土は万物を生成するもので、そこから生産されるものが穀である。(陰陽道叢書・名著出版より)

やっと「穀」が出ました。お米も、雑穀も穀ですよね。生活上必要な昼夜・四季、水・火・木・金・土が陰陽道の原点になっているのです。
そうです。陰陽道は平安時代の安倍晴明で有名ですが、もっと、ず~っと昔からあったものなのです。

中国・朝鮮から、日本に船(おそらく)を使って、稲作の文化・鉄器などの文化・思想が伝わってきたのです。
陰陽道の思想は、こんな古くから日本に入ってきていたのでした。

今日も、難しい歴史の話の話になってしまいました。
これって、誰のせい、私のせいです。
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by kilo-kinosita | 2008-10-16 22:24 | 淡河町ぶらり情報
2008年 10月 11日

丹生都比売命について

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この神社は、紀伊国一宮の丹生都比売神社です。
余談ではありますが、ライフワークで、7年前から全国の一の宮の撮影の旅をしています。
一の宮は68カ国97社ありますが、残すところあと4社になりました。今日の写真はその時、撮ったものです。
丹生都比売神社の由来に、「播磨風土記」のことが記載されいています。10月3日のブログで丹生神社の話をしましたよね。今日は播磨風土記から丹生都比売命のことをお話します。

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〔播磨国風土記 逸文〕
爾保都比売命(にほつひめのみこと)
播磨の国風土記にいはく、息長帯日女命(おきながたらしひめ・神功皇后)。新羅の国平らげむと欲して下りましし時、衆神に禱ぎたまひき。その時国堅めましし大神のみ子、爾保都比売命、国造石坂比女命(いわさかひめのみこと)に著きて、教えたまひしく、「好く、我がみ前を治め奉らば、我ここに善き験(しるし)を出して、ひひら木の八尋桙根底附かぬ国、越売(をとめ)の眉引きの国、玉匣(たまくしげ)かがやく国、苫枕(こもまくら)宝ある国、白衾(たくふすま)新羅の国を丹波もちて平伏け賜ひなむ」と、かく教へ賜ひて、ここに赤土を出し賜ひき。
其の土を天の逆鉾に塗りて、神舟の艫舳(ともえ)に建て、御船の裳(すそ)と御軍の着衣とを染め、又、海水を撹き濁して、渡り賜ふ時、底潜く魚、また高飛ぶ鳥等も往き来ふことなく、み前に遮ふることなく、かくして、新羅を平伏けをへて、還り上りましてのち、其の神を紀伊の国、管川の藤代の峯に鎮め奉りたまいき。」

さて、ここで、播磨風土記では、丹生都比売命ではなく、爾保都比売命になっていることである。
神戸市北区の歴史には、「神功皇后が新羅を討とうとして瀬戸内海を西に向かう途中、丹生都比売命から、霊力のある赤土をもらった。丹生都比売命は、丹生氏が氏神として祭った女神のようだが、丹は赤・朱と同義。丹生とは、酸化鉄を大量に含んだ丹土を生産することを示す。
丹生氏は北九州を発祥とする水銀鉱業の一族で水銀の原鉱(辰砂・しんしゃ)採取地を探りあてながら東へ勢力を伸ばしたという。丹生山田へやってきたのも水銀を求めてであろう。丹生山の丹生神社は、丹生氏の氏神であったことは間違いない。神功皇后伝説によると、丹生都比売命から悪霊を追い払う赤土をもらい、すべてを赤く塗り、新羅へ出かけ無事に帰ってきた。それを謝して丹生都比売命を紀伊国管川の藤代の峰に鎮め祀ったという。これは、丹生氏が辰砂のより大きな生産地への氏族の移動を物語るものだろう。」

神戸市北区の歴史には、爾保都比売命を丹生都比売命として書かれている。そして、丹生氏が祀った女神であることがわかった。
爾保都比売命は丹生都比売命なのであろうか?
色々調べていると、神奈備のホームページに『丹生都比売伝承』の中に爾保都比売命のことが書かれていた。
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〔丹生都比売伝承〕
「周の後に春秋時代(BC770~BC402)と呼ばれる時代となった。江南には越と呉の強国が建ち、相争うこと幾たびにも及んだ。
揚子江の南、杭州は絹や水銀を産する。稚目女(わかるひめ)は、江南の呉王国の妹王女として生を受けた。姉王女は大日女(おおひるめ)という。
BC473年呉は越に滅ぼされ、BC334年越は楚に滅ぼされ、楚は始皇帝の秦に滅ぼされる。この様な国の乱れの中で、金属採取に長けた越人を交えた一族部民は呉王女姉妹を奉載し、新天地の倭国へ向かった。呉越は往古より倭国とは交流があり、倭国には金や水銀の鉱脈が露出しており、また住民は穏やかな人々である事が知られていた。
南九州に上陸、姉の大日女姫はこの地に伴侶を得てとどまり、後に天照大神と呼ばれる女神の原型となった。稚日女姫はミズガネの女神と讃えられ、すなわち丹生都比売神の原型となった。稚日女姫を奉載した一族は熊本の八代や嵯峨で水銀鉱脈を見つけ採掘した。
海を渡り四国へ行く。女神の後裔に新たに爾保都比売が現れた。広島へ移動した部族は石見・出雲や播磨へと進出した。日本海側に出た水銀師達は、再び祖神丹生都比売を奉じて城崎・丹後と沿岸を北上して、福井へと鉱脈を求めていった。
丹生都比売は中央構造線を進み、四国から淡路を経由して紀の国に上陸する。丹生都比売と一族の後裔は、鉱脈が尽きつつある中で耕地開拓にも従事した。鉱脈が尽き一部は、播磨に移動し、爾保都比売を祀る人々と合流した。」

以上が丹生都比売に関することです。
丹土・水銀については、またお話します。

更に、弘法大師空海は京都の高尾から丹生都比売神社を参拝・参籠して神社の境内の日一隅に修法の庵を建立して修行をしました。勅許を得て神社の狩場であった高野山にこの庵を移し山王院として、真言宗密教修法の根本道場とした。それが、今の金剛峰寺です。
この空海も水銀と深い繋がりがあるのです。
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by kilo-kinosita | 2008-10-11 23:48 | 淡河町ぶらり情報
2008年 10月 06日

淡河八幡神社 例大祭に行ってきました。

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昨日淡河八幡神社で例大祭がおこなわれました。
せっかくのお祭りなのに、残念ながら一日雨。その中でも、担ぎ手は元気良く屋台や神輿を担つぎ練り歩いていました。
屋台に乗って太鼓をたたく打ち子さんは、淡河小学校の生徒さん。神輿の担ぎ手と舞姫さんは淡河中学校の生徒さんです。
午前中は、拝殿で祭典が行なわれ、舞姫さんの浦安の舞の奉納があり、祭典後、境内で屋台の練りと神輿の練りが行なわれました。

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午後からは、御旅神事となります。参拝客に舞姫さんが、浦安の舞・豊栄の舞を披露して、その後、屋台・神輿・渡行列と行列作り御旅所である、天満神社へと向かいます。この御旅神事は平成9年に神戸市の無形文化財にしていされ、お祭りは江戸時代から続けられてきたものであるということです。
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淡河町には14の集落と隣の三木市志染町の戸田・三津田の集落が氏子になっています。
この16の集落を4つの当番区に分かれます。またその当番区に親村というのがあり、祭りのすべてを取り仕切ります。

4つの当番区は、宮元、七村、野瀬・神田・神影、戸田・三津田と分かれます。
この4つの当番区が毎年順繰りに当番をします。
宮元が勝雄・淡河・本町・萩原の4集落で、七村が南僧尾・北僧尾・木津・行原・東畑・中山・北畑の7集落です。それと、野瀬神田神影の3集落、戸田・三津田の2集落です。
今年の当番区は宮元、親村は勝雄でした。ですから、宮元の場合、4年に一度当番区が回ってきて、親村は更に4×4年で16年に一度回ってきます。私がこのお祭りの撮影を始めたのが16年前でしたから、ちょうど一周撮影したことになります。

この渡行のコース内に田圃があり、昔からこの田圃の中に建物を一切建ててはならぬといわれています。なぜ、建物を建ててはいけないのか?そのことを、前の宮司さん(今の宮司さんのお父さん)に聞いたら、神輿が通る御幸道だから、神聖な場所だからといっていました。
このコース内の田圃は直角二等辺三角形であり、何か秘密があると思い、淡河の神社仏閣を知れべるきっかけになったのでした。
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by kilo-kinosita | 2008-10-06 15:30 | 淡河町ぶらり情報