2008年 10月 16日
このお米は古代米の緑米の田圃です。今のお米の原点である「古代米」。赤米はお赤飯のルーツとも言われます。 さて、お米はいつから日本に渡ってきたのでしょうか? こんな事みんな知っているよね。狩猟・漁労・採取の生活であった縄文時代から、水田稲作が伝来した弥生時代だと。その弥生時代が始まったのは紀元前5世紀と言われていましたよね。(覚えていないかな?)でも最近の説ではそれより500年前の紀元前10世紀ごろと言われています。今から3000年も前になるのですよね。 そんな頃にどうやって日本に渡ってきたのか?船しかないですよね。どんな船で?わかりませ~ん。今のような船でないことはわかりますけど、丸木船かなぁ。まぁそれは置いといて、専門家に聞いてください。 その頃から、中国・朝鮮から文化が入ってきたことは確かです。 さて、陰陽道ですが、陰陽五行説と言います。 中国の陰陽五行説は、もともと別個の存在であって、それぞれ古い歴史を持つ陰陽説と五行説。それに十干・十二支の干支や『周易』の柔剛・八卦の思想なども加わって漢時代にその形を整え、魏晋南北朝において、それらが複雑に結合し漢民族の固有の信仰など種々の要素も加わって成立した思想だそうです。(あ~長) それが、今の陰陽道であって、占いになるのです。 ですから、もともとの陰陽説と五行説は性格が違うのです。 陰陽説は、農耕生活していた漢民族が、生活を左右する自然の推移、すなわち昼夜の循環、春夏秋冬の四季の気候の推移、晴雨の変化など体験的に観察することにおいて「陰」と「陽」との二つの相反することを、人間と世界とを解釈しようとした二元論であると言われます。 五行説の概念は非常に古く殷・周には存在したと言われています。この五行の始めのものは、古代の人々が日常生活の中で欠くことのできない水・火・木・金・土の五つの物質、個別な五つの材料を発見したことに紀元があるそうです。水と火は人々の飲食に必要であって、木と金は農耕生活に必要なものであり、土は万物を生成するもので、そこから生産されるものが穀である。(陰陽道叢書・名著出版より) やっと「穀」が出ました。お米も、雑穀も穀ですよね。生活上必要な昼夜・四季、水・火・木・金・土が陰陽道の原点になっているのです。 そうです。陰陽道は平安時代の安倍晴明で有名ですが、もっと、ず~っと昔からあったものなのです。 中国・朝鮮から、日本に船(おそらく)を使って、稲作の文化・鉄器などの文化・思想が伝わってきたのです。 陰陽道の思想は、こんな古くから日本に入ってきていたのでした。 今日も、難しい歴史の話の話になってしまいました。 これって、誰のせい、私のせいです。
by kilo-kinosita
| 2008-10-16 22:24
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