2008年 10月 11日

丹生都比売命について

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この神社は、紀伊国一宮の丹生都比売神社です。
余談ではありますが、ライフワークで、7年前から全国の一の宮の撮影の旅をしています。
一の宮は68カ国97社ありますが、残すところあと4社になりました。今日の写真はその時、撮ったものです。
丹生都比売神社の由来に、「播磨風土記」のことが記載されいています。10月3日のブログで丹生神社の話をしましたよね。今日は播磨風土記から丹生都比売命のことをお話します。

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〔播磨国風土記 逸文〕
爾保都比売命(にほつひめのみこと)
播磨の国風土記にいはく、息長帯日女命(おきながたらしひめ・神功皇后)。新羅の国平らげむと欲して下りましし時、衆神に禱ぎたまひき。その時国堅めましし大神のみ子、爾保都比売命、国造石坂比女命(いわさかひめのみこと)に著きて、教えたまひしく、「好く、我がみ前を治め奉らば、我ここに善き験(しるし)を出して、ひひら木の八尋桙根底附かぬ国、越売(をとめ)の眉引きの国、玉匣(たまくしげ)かがやく国、苫枕(こもまくら)宝ある国、白衾(たくふすま)新羅の国を丹波もちて平伏け賜ひなむ」と、かく教へ賜ひて、ここに赤土を出し賜ひき。
其の土を天の逆鉾に塗りて、神舟の艫舳(ともえ)に建て、御船の裳(すそ)と御軍の着衣とを染め、又、海水を撹き濁して、渡り賜ふ時、底潜く魚、また高飛ぶ鳥等も往き来ふことなく、み前に遮ふることなく、かくして、新羅を平伏けをへて、還り上りましてのち、其の神を紀伊の国、管川の藤代の峯に鎮め奉りたまいき。」

さて、ここで、播磨風土記では、丹生都比売命ではなく、爾保都比売命になっていることである。
神戸市北区の歴史には、「神功皇后が新羅を討とうとして瀬戸内海を西に向かう途中、丹生都比売命から、霊力のある赤土をもらった。丹生都比売命は、丹生氏が氏神として祭った女神のようだが、丹は赤・朱と同義。丹生とは、酸化鉄を大量に含んだ丹土を生産することを示す。
丹生氏は北九州を発祥とする水銀鉱業の一族で水銀の原鉱(辰砂・しんしゃ)採取地を探りあてながら東へ勢力を伸ばしたという。丹生山田へやってきたのも水銀を求めてであろう。丹生山の丹生神社は、丹生氏の氏神であったことは間違いない。神功皇后伝説によると、丹生都比売命から悪霊を追い払う赤土をもらい、すべてを赤く塗り、新羅へ出かけ無事に帰ってきた。それを謝して丹生都比売命を紀伊国管川の藤代の峰に鎮め祀ったという。これは、丹生氏が辰砂のより大きな生産地への氏族の移動を物語るものだろう。」

神戸市北区の歴史には、爾保都比売命を丹生都比売命として書かれている。そして、丹生氏が祀った女神であることがわかった。
爾保都比売命は丹生都比売命なのであろうか?
色々調べていると、神奈備のホームページに『丹生都比売伝承』の中に爾保都比売命のことが書かれていた。
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〔丹生都比売伝承〕
「周の後に春秋時代(BC770~BC402)と呼ばれる時代となった。江南には越と呉の強国が建ち、相争うこと幾たびにも及んだ。
揚子江の南、杭州は絹や水銀を産する。稚目女(わかるひめ)は、江南の呉王国の妹王女として生を受けた。姉王女は大日女(おおひるめ)という。
BC473年呉は越に滅ぼされ、BC334年越は楚に滅ぼされ、楚は始皇帝の秦に滅ぼされる。この様な国の乱れの中で、金属採取に長けた越人を交えた一族部民は呉王女姉妹を奉載し、新天地の倭国へ向かった。呉越は往古より倭国とは交流があり、倭国には金や水銀の鉱脈が露出しており、また住民は穏やかな人々である事が知られていた。
南九州に上陸、姉の大日女姫はこの地に伴侶を得てとどまり、後に天照大神と呼ばれる女神の原型となった。稚日女姫はミズガネの女神と讃えられ、すなわち丹生都比売神の原型となった。稚日女姫を奉載した一族は熊本の八代や嵯峨で水銀鉱脈を見つけ採掘した。
海を渡り四国へ行く。女神の後裔に新たに爾保都比売が現れた。広島へ移動した部族は石見・出雲や播磨へと進出した。日本海側に出た水銀師達は、再び祖神丹生都比売を奉じて城崎・丹後と沿岸を北上して、福井へと鉱脈を求めていった。
丹生都比売は中央構造線を進み、四国から淡路を経由して紀の国に上陸する。丹生都比売と一族の後裔は、鉱脈が尽きつつある中で耕地開拓にも従事した。鉱脈が尽き一部は、播磨に移動し、爾保都比売を祀る人々と合流した。」

以上が丹生都比売に関することです。
丹土・水銀については、またお話します。

更に、弘法大師空海は京都の高尾から丹生都比売神社を参拝・参籠して神社の境内の日一隅に修法の庵を建立して修行をしました。勅許を得て神社の狩場であった高野山にこの庵を移し山王院として、真言宗密教修法の根本道場とした。それが、今の金剛峰寺です。
この空海も水銀と深い繋がりがあるのです。
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by kilo-kinosita | 2008-10-11 23:48 | 淡河町ぶらり情報


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